会員学生の皆さん、こんにちは。

皆さんは、国際世論や情勢を読み解く上で、日本人には決定的に欠如している要素があることにお気づきでしょうか?

それは「宗教的解釈」です。

心が落ち着かない変革の時期には、それが実生活に影響して家計を圧迫し、実際に電気やガスの値上がりや物価高を招いて、既に不安な要素が多数同時発生しているわけですが、日本人はこういう時には一人で悩んだり、神社に行く程度。

しかしその神社にも経典がありません。

神様が勧める決まりごとと言えば

「常に洗い清めること」

くらいなもので、日本人はその他のことについては自らに問い、心の声を聴き、善を模索してこれを成そうとするのです。

そもそも神様がそこらへんにたくさんいて、家の中にまで便所の神様から貧乏神まで、家族が神様と共存している民族って、他にないでしょう?

神様は砂漠の向こうにいるとか、雲の上にしかいないというのではなく、八尾万津の神様の中に生きているかのように思っている日本人は、普段は宗教を意識していません。

それは毎日休むことなく呼吸していても空気を意識していないのと同じで、実は呼吸するように信仰生活しているのが日本人。

神道には具体的生活における禁忌食も信者の義務も経典もないから、自らに聴き、自らを疑い、自らの心と技を磨き上げる。

剣術・柔術などの格闘技を、剣・柔という「徳」を伴うものに昇華するだけでなく、「花がきれいだな」と思えば「華道」、「うまいお茶を飲みたいな」と思えば「茶道」、「いい匂いを楽しみたいな」と思えば「香道」なんてのもある上に、近代に入っても「野球道」「ラーメン道」なんていう「道」まで作って、とことん極めてしまうのです(^_^;)

それが日本人の長所であり、かんたんに自己肯定できず自信を持ちにくい短所でもあるのでしょう。

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