会員学生の皆さん、こんにちは。
参院選中の安倍元総理狙撃からまもなく1ヶ月になろうとしているのに、その謎については今もまだ様々な憶測が飛んでいますね。
私の中では、少なくとも現場における実行犯と、組織が関わる可能性については、すでに本校内でお伝えしたとおり、消えた弾の所在以外は、ほぼ解明済みのつもりです。
あれも奈良県立医科大学附属病院では「治療」をし、奈良県警では「司法解剖」をしていますが、それぞれに実施時間や実施目的、その時までに持ち合わせた予備情報や専門知識・経験が違い、しかも弾の形状も材質もわかっていない中での「当時の結果」ですので、弾の出と入りの解釈については違った解釈が出たのだと私は思います。
これについては、本校学生さんから有力な決め手となる画像資料をいただきましたので、また後ほどお伝えしますね。
(それにしても体内にあるはずの弾がないってのは不思議です。手術または解剖中に落としたのか?)
問題は被疑者の犯罪の実行に影響を及ぼした要素として、宗教カルト問題があるとする場合、こうした事件を再発しないために、問題をいかに改善していくかだ・・・と私は考えています。
では「多額の献金を受け取るカルト宗教だから」という漠然とした理由で裁けるのか?
これまた難しい問題ですよ。
まさに「価値観の多様性」ってやつですから(-_-;)
これは今ちょっとだけ勢いを取り戻している左翼界隈にとっても難しい問題だったりします。
左翼勢力からしても「価値観の多様性」という錦の御旗こそが、彼ら「カルトつぶし」のネックであり、しかも旧統一教会が政治活動時に使っていた「勝共連合」という名を出してしまうと、彼らが的にかけようとしているのが「カルト」ではなく「反共産主義の一角」であることがバレてしまうからです。
「カルトだからダメ」という漠然としたツッコミでは、政権奪取を狙うカルトを排除できません。
この問題を整理するため、山上被疑者の供述から出てきたカルトによる家庭崩壊を、是々非々で分解して考えて考えてみると、問題の根本を3つに分類することが出来ます。
❶家庭の問題
左翼の皆さんが声高に叫ぶとおり、時代は「多様性」。
多様な価値観の共存を求める社会を彼らは理想としています。
だからこそ、今日は私、カミングアウトしますが、実は・・・
私、「甲冑カルト」なんです!
こんな異常な正装に身を包んで、地域の寺社など古くからの宗教法人が主催する宗教行事に嬉々として出席してしまうんです。
重症カルト患者の、凶器準備集合罪で検挙手前の姿をどうぞ(笑)
当然ながら、いい甲冑を見つけた場合・・・例えばこんな錆びたヘルメットみたいな残欠部品がヤフオクに出ていたら、多少いくさの血痕が滲みついていようが呪われていようが、血眼になって落札しそう。
ついでに告白いたしますが・・・
実は先日も、茶碗ひとつに8000円もかけてしまいましたあああ(ToT)
百均商品と同じ機能しかない茶碗一つに、80倍も払って買ったのがこれだ!素晴らしすぎる!
焼きもの愛好家が言う「景色」(茶碗などの表面に見える焼きムラや釉のかけ具合など)だとか「侘び寂び」の概念も吹っ飛ばす、ギンギラギンで歪んだ変わり種です。
でもこれがいいんです! これの良さがわからないなんて、頭おかしいぞお前!
しかもお茶じゃなくて炭酸水入れて喜ぶ私は変態、まさにカルト(;´Д`)ハァハァ
さらに・・・もう一つ買っちゃいましたよもう俺は狂っている!
・・・わかってる、わかっていますよ。だけどね、
「その時買わないと、もう同じものはないですからね〜。
後で後悔して苦しむもんですよ。はっはっは」
というあの店主の声が、脳内にこだまして聞こえてきたんだから仕方ないだろわかるだろ息子たちよ?!
さあ、今夜のおかずは冷奴だ! 元気出せ!
・・・でもこれって、発熱したカルト宗教信者と同じ心境かも。
毎日こんな買い物してエンゲル係数が低い貧困家庭だと、息子がグレちゃうよ(^_^;)
家庭生活を崩壊させるほどの財産処分は、まず財産処分権を持つ大人本人の問題です。
「ツボを買わなきゃ地獄に落ちる」「今この茶碗を買わないと、後で後悔しますよ」なんて売り言葉に翻弄されるのも、本人の資質の問題。
先日の狙撃暗殺事件の原因が、家庭環境にあるというなら、問題は山上被疑者の母本人であり、家族を養う持つ親が備えるべき自制心と責任感が欠如していると言わざるを得ないでしょう。
❷集団・団体の問題
そしてその山上の母親の精神的依存先で、かつ金銭の授受の事実がある旧統一教会自身にも問題があります。
法規制や公権力ではなく、家族や業界、今回の問題で言えば(旧統一教会だけでなく)各家庭や各業界、各宗教団体が、適正な価値観や基準を持って、行き過ぎを是正することが必要でしょう。
それが子供を大切に思う親の思いやりであり、
買い手の事を考える業界の社会貢献であり、
信徒の幸せを願う教団の慈愛である!
・・・と私は考えておりますが、統一教会に限らず、カルト宗教にはそこが希薄なのです。
信者の心の安定より、信者を依存させることでATM化し、さらに勢力拡大を目指す宗教団体は、そうなりがちですよ。
精神的に頼りにされて対価を得、指導する存在には、それなりの責任が発生するのです。
その責任を信者にしわ寄せして、救うどころか苦しめるようでは、「カルト」と言われても仕方ないでしょう。
❸ 国家としての問題
しかし国家としての問題は、上の❶❷どころではないのです。
むしろ日本を「サタン国」などと決めつけ、日本人信者に罪悪感を植え付け、金を巻き上げる韓国系反共産主義宗教が政治に介入しようとしていた事実のほうが大問題。
こうした精神的侵略から国民を守るためにも、宗教団体は全て厳格に政教分離すべきだと私は考えます。
https://twitter.com/Japangard/status/1551357289097232384
それでもマスコミは、統一教会に的を絞って、某宗教団体には絶対に飛び火しないように世論を誘導しようとしているように感じませんか?
なぜ統一教会系のみを的にして、創価学会を出さないのか?
(そもそも左翼運動自体がカルト化してないか?)
そこには地上波ではモロ出しに出来ない、「リベラル」なりの事情と歴史があるのです。
そんなわけで前置きの無料公開サービスが長くなりましたが、今回は今話題の「統一教会=勝共連合」と「自民党」、日本の保守派と勝共連合がなぜ共存し得たのかについて、前回に引き続き時代の流れと社会の変化をお伝えしましょう。