会員学生の皆さん、こんにちは。

GWはいかがでしたか?
作家というのは、好きでやっている仕事の人が多いので皆そうなのかもしれませんが、休もうとしてもつい仕事を思いついてしまい、面白そうなので調べているうちに、本格的に仕事モードに入ってしまうため、毎日が休みで、毎日が仕事。

仕事とプライベートがあまりきっちりと分けられていなくて、生き方自体が仕事だったりするので、私もそんなGWでした(^_^;)

むしろ遠出するなら混んでいないときがいいので、GWがあけてから、コソッと温泉にでも行ってきます。

・・・が、温泉でもやっぱり仕事モードになってしまう(-_-;)

さて、この度新しい分野に挑戦することになりました。

今日はゆるいネタですので、ご安心ください(笑)

みなさんは、月刊「玉響」と言う雑誌をご存知でしょうか?

【月刊玉響】
http://www.nihoniyasaka.com/book/

「日月神示」研究の第一人者である中矢伸一先生が、神示以外の様々な分野の専門家を招いて月刊誌としてまとめているもので、私はその中で唯一、反日勢力の各種攻撃や移民・治安問題などの現実的な問題提起をテーマに「日本の迷走と妄想と真相」というコーナーでレギュラー連載をしています。

【日本弥栄の会代表 中矢伸一さん】
https://www.mag2.com/magspe/interview203/

が、この月刊誌、肝心の「日月神示」について毎月書いているのは、その専門家の中矢先生と、もうお一方の内記正時先生のみ。

…で、その内記先生が連載がそろそろ仕上がって打ち切るとのことで、なんと私がその後を埋めることになったのです(^_^;)

なんで?…と驚く方もおられると思います。

学校長にそんな知識があるのかよ?大丈夫か?
…と心配する方もいると思います。

今まであまりお話したことがない話ですので、それをちょっと説明しましょう。

 

まず私が初めて聖書を真面目に読んだのは、警視庁機動隊から成田空警隊(成田空港警備隊の略)に出向する22歳ころ。

血気盛んな当時の私は、全国の荒ぶる機動隊員が集まり、仕事で暴れた後は毎日酒盛りで、昇任に有利!と聞き自ら志願したのです。

が、出向当時も空港周辺にはまだ極左アジトが複数存在し、中年化した過激派「元学生」たちが火炎瓶を投げていましたので「現場で死んだら、俺、天国に行けるかな?」とちょっと考えてしまったのですよ。

だって、そのちょっと前まで、こんな高校生だったんですよ(笑)
これが極左をボコボコにすることを楽しみに機動隊員になったなんて、

…もうどう考えても天国に行けそうにないでしょ(^_^;)

そこで出向前に、カトリック教会のフランス系カナダ人神父さんの元に通い聖書を真面目に勉強したのです。

ほぼ個人授業で、そりゃもう真面目に勉強しましたよ。
それまでで初めて、自主的かつ真面目に勉強した気がします。

またこの勉強は実務にも役立ちました。

特にオウム信者がそこらへんをふつうに歩いていた時代でしたので、職質してちょっと仲良くなると、よく話題に出るのがヨハネの黙示録だったりするので実務にも活かせる勉強でした。

今じゃ考えられませんけどね↓

ところが、私はここで、ある疑問にぶつかったのです。

その疑問とは、「ヨハネの黙示録」の記載でした。

小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。

彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。

すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。(ヨハネの黙示録第6章9〜11節)

…許しを説いてこそ神、許せてこそ信者ではなかったのか?
この恨みつらみの死者たちの「許し」とは何なんだ?

神父様は「神がなさることだから、それでいい」というので「納得しろ俺!」と頑張りましたが。それは無理ですよ(^_^;)

そして30年後にその疑問に見事に答えたのが、日月神示でした。

 

日月神示とのご縁

その後私は結婚して、家族4人抱えて警察を辞めて貧乏作家一直線だったある日、妻の書棚に日月神示に関する本を見つけ、何気なく手にとったのが、中矢先生のご著書だったのです。

その後、中矢先生から「玉響」連載のご依頼を頂いたのが、今から5年ほど前。

でも神示を本気で読み始めたのは、去年の秋頃ころからですよ(^_^;)

日月神示は、三年前に出版した拙著「あなたがここに転生した理由」(青林堂)で書いた死後の天界の仕組みと良く似ていた上に、神示にはぼんやりしていた点がはっきりと書かれていて、隙間がうまる感じでしたね。

もう一つ、私にとって神示が親しみを感じさせたのは、この神示自体が以前勉強した新約聖書を明確に意識して書かれているからです。

神示の言葉の端々には、たくさんの共通した言葉がさらっと使われているのです。

ところが、神示の最後には「五十黙示録」という巻もあるため、聖書との関連を知りたかったのですが「玉響」のレギュラー執筆陣の先生方の中で聖書に言及する方いないのですよ。

さらに専門家の内記正時先生の連載がまもなく終了するとのことで、ちょうど神示の音読が4周目を終えた頃に、新しいこの連載のお話を、中矢先生から頂いたのです。

そう、私はこれを音読しています。こう書かれていたからです。

この神示皆に読みきかしてくれよ。一人も臣民居らぬ時でも、声出して読んでくれよ。臣民ばかりに聞かすのでないぞ。様にも聞かすのざから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。(第2巻 下つ巻 第8帖)

で、素直に音読を開始すると、偶然なのか、机の壁の3m先の隣で、毎日一人で荒れ狂い怒鳴り散らしていた痴呆気味のおばあさんがピタリと静かになりました(@_@;)

昔は水商売をしていたらしい正体不明の婆さんなので、70超えた今もヒョウ柄スパッツにピンクのジャンバー着用でよたよたと歩いていくのをたまに見かけていましたが、音読してからしばらくしたら、服装も地味になってスタスタと歩き始め驚きました。

最近は自転車に乗ってどこかに出かけるので、試しに音読を辞めてみたら、やっぱりブツブツいい出して危険な状態一歩手前になってしまった(^_^;)

で、また音読を再会しています。

すると、神様の声や話しぶりまで脳内再生されるようになります。

今度はこっちがおかしくなったか?(^_^;)

でも連載のご依頼はちょっと悩みましたよ。

通しで4回読んだ程度ではエラそうなことは書けません。そこで

「日月の神様、畏れながら、私は疑い深い上にひねくれてますので、ツッコミ入れて疑いながら書かせていただくこともあるかと存じますが、宜しいでしょうか?」

と悩んだら、判らぬことは神示に聴け、と書いてあったことを思いだしました。

何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、(第八巻 磐戸(一八十)の巻 第一七帖)

心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ。神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。(第二十四巻 黄金の巻 第29帖)

早よう改心なされよ。建替の事 学や智では判らんぞ。(第十一巻 松の巻 第12帖

元より頼る学歴も知識も、役職肩書も受賞歴もない、経験と直感と好奇心で動く私だから頂けた機会かもしれません。

そんなわけで、誠に恐れ多くも、来月からは月刊玉響にて、御二柱の神様の黙示録を、「たとへ神の言葉と申しても一応は考へ」ながら検証してまいります。

ちなみにこの「日月神示」は

この道は宗教ではないぞ。教会ではないぞ。道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。
道とは臣民に神が満ちることぞ。神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ。(第二巻下つ巻第1帖)

教会作るでないぞ。信者作るでないぞ。無理に引張るでないぞ。
この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神もなかなかに苦しいぞ。(第二巻下つ巻第4帖)

とのことで、変な宗教団体に入ったわけではありません、ご安心ください(^_^;)

私が神示に惹かれた理由は、この日月神示にはあちこちに暗号文のようなところがあり、それを読み解くにはどうも聖書の知識が必要だから、なのです。

これから月イチ程度で、こうした話題もご紹介してまいりますので、どうぞ皆さん、ついてきてくださいね(^o^;)/